2026年1月18日(土)放送のテレビ朝日「ナニコレ珍百景」で紹介された、和歌山県串本町・紀伊大島にある「トルコ記念館」。
「なぜ日本の紀伊半島の先端にトルコ!?」と驚きの声が上がる一方で、その背景にある135年前の感動秘話が明らかになると、視聴者からは「泣いた」「知らなかった」「学校で教えるべき」との声が殺到しています。
放送直後からSNSでは「#トルコ記念館」「#エルトゥールル号」がトレンド入り。1890年に起きた海難事故と、串本町の人々による命がけの救助活動。そして95年後のトルコからの「恩返し」。日本とトルコの絆を結んだ物語が、今再び注目を集めています。
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何が起きたか:ナニコレ珍百景での放送内容
紀伊半島の先端に突然現れる「トルコ記念館」
2026年1月18日放送の「ナニコレ珍百景」で紹介されたのは、和歌山県東牟婁郡串本町の紀伊大島にあ
る「トルコ記念館」です。
番組の流れ:
- 本州最南端の町・串本町を訪れるロケ隊
- 紀伊大島に渡ると、突然目に飛び込んでくる「トルコ記念館」の看板
- 「え、なぜここにトルコ?」と驚く出演者たち
- 記念館の中には、トルコ軍艦「エルトゥールル号」の模型や遺品が展示
- 展望台からは、遭難現場の海域が見える
番組での紹介ポイント:
- 日本とトルコの友好の原点がこの地にあること
- 1890年(明治23年)の海難事故の詳細
- 地元民による決死の救助活動
- 1985年のイラン・イラク戦争時の「恩返し」
- 現在も5年ごとに行われる慰霊祭
司会者と視聴者の反応
番組を見た視聴者からは、驚きと感動の声が相次ぎました。
「まさかこんな場所にトルコとの深い繋がりがあったなんて」 「学校で習った記憶がない。なぜ教科書に載せないの?」 「号泣した。こんな素晴らしい話を知らなかった自分が恥ずかしい」
放送直後、SNSでは「#トルコ記念館」「#串本町」「#エルトゥールル号」がトレンド入りし、多くの人が感動を共有しました。
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トルコ記念館とは?基本情報
施設概要
正式名称: トルコ記念館(Turkish Memorial Museum)
所在地: 和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-26
開館: 1974年(昭和49年)12月
運営: 串本町(町立博物館)
目的: 日本とトルコの友好の証として、エルトゥールル号遭難事件を後世に伝える
展示内容
1階展示室
- エルトゥールル号の精巧な模型
- 乗員の遺品(海底から引き揚げられたもの)
- 当時の写真資料
- 遭難事故の詳細説明パネル
- トルコ政府から寄贈された品々
- 映画「海難1890」の関連展示
2階展望台
- 遭難現場「船甲羅(ふなごうら)」の岩礁を一望
- 樫野埼灯台の眺望
- 太平洋の絶景
営業情報
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 無休(年中無休)
入館料:
- 一般:300円
- 小中学生:100円
- 団体割引あり(15名以上)
所要時間: 約20〜30分
駐車場: あり(無料)
アクセス:
- JR串本駅からバスで約40分
- くしもと大橋を渡って紀伊大島へ
- 車が便利(駐車場完備)
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135年前の感動秘話:エルトゥールル号遭難事件
1890年9月16日の悲劇
物語は、1890年(明治23年)9月16日夜に起こりました。
事件の背景
1887年、小松宮彰仁親王がイスタンブールを訪問し、オスマン・トルコ皇帝アブデュル・ハミト2世と謁見。この時の歓待に感謝し、明治天皇は皇帝に親書と漆器を贈りました。
これに対する答礼として、1889年7月、オスマン・トルコ帝国はフリゲート艦「エルトゥールル号」を日本に派遣しました。
エルトゥールル号のスペック:
- 全長:約76メートル
- 排水量:2,344トン
- 乗員:656名(艦長オスマン・パシャ海軍少将以下)
- 木造軍艦
日本での滞在
1890年6月7日、エルトゥールル号は横浜港に入港。オスマン・パシャ一行は明治天皇に謁見し、トルコ皇帝からの最高勲章と親書を奉呈しました。
約3か月間の滞在を終え、9月15日、エルトゥールル号は横浜港を出港。しかし、この時期は台風シーズン。日本側は出航を延期するよう勧告しましたが、エルトゥールル号は帰国を急ぎ、出港を決行しました。
運命の夜:9月16日
横浜を出港した翌日、9月16日夜。エルトゥールル号は和歌山県串本町・紀伊大島の樫野埼沖を航行中、猛烈な台風に遭遇しました。
21時頃 – 強風にあおられ、「船甲羅(ふなごうら)」と呼ばれる岩礁に激突
22時半頃 – 機関部への浸水による水蒸気爆発が発生、船体が二つに割れて沈没
結果 – 600名以上が荒れ狂う海に投げ出されるこの「船甲羅」は、数百年来、船乗りたちに恐れられてきた難所でした。
奇跡の救助:大島村民の献身
暗闇の中の生存者
生存者のうち約10名が、暗闇と猛烈な波の中、必死に断崖を這い登り、樫野埼灯台にたどり着きました。
灯台には2名の灯台守が勤務しており、言葉は通じませんでしたが、国際信号旗を使用して、遭難したのがトルコ軍艦であることを理解しました。
灯台守は直ちに、大島村樫野地区の区長に急報しました。
村を挙げての救助活動
知らせを受けた大島村(現在の串本町)の人々は、大人から子どもまで総出で、暴風雨の中、現場に駆けつけました。
村民たちが行ったこと:
- 命の危険を顧みず、荒れ狂う海に飛び込んで救助
- 自分たちの食料をすべて提供(当時、村は貧しく、食料も乏しかった)
- 寒さで震える生存者を、自らも裸になって布団で一緒に温めた
- 非常用として飼っていたニワトリを潰して、スープにして与えた
- 不眠不休で遺体の捜索・引き上げ・埋葬
当時の大島村は、決して豊かな村ではありませんでした。それでも、村人たちは自分たちの持てるすべてを提供し、トルコの人々を救おうとしたのです。
救助の結果:
- 生存者:69名
- 犠牲者:587名
明治天皇の対応と全国からの支援
エルトゥールル号遭難のニュースは、すぐに日本全国に伝えられました。
明治天皇の対応
明治天皇は、ただちに以下の指示を出しました:
- 宮内省に可能な限りの援助を命令
- 宮内省侍医と日本赤十字社要員を神戸経由で派遣
- 海軍に軍艦の派遣を要請
全国からの義援金
各新聞が衝撃的なニュースとして報道すると、日本全国から多額の義援金と物資が寄せられました。当時の日本人の心の優しさと国際感覚が示されました。
生存者の帰国
69名の生存者は神戸で治療を受けた後、10月5日、明治天皇の命により日本海軍の軍艦「比叡」と「金剛」によって、丁重にトルコ(イスタンブール)まで送り届けられました。
1891年1月2日、両軍艦はイスタンブールに到着。トルコ国民の心からの歓迎を受け、両艦長には皇帝から勲章が授与されました。
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トルコでの反響
大島村民の献身的な救助活動は、トルコ本国に伝えられ、トルコ国民の心を深く打ちました。
トルコでの語り継ぎ
この出来事は、トルコの歴史教科書に掲載されるほど、トルコ国民に広く知られるようになりました。
「1890年、日本の串本という小さな村の人々が、命をかけて私たちの先祖を救ってくれた」
この事実は、世代を超えてトルコで語り継がれています。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っているといいます。
一方、日本では多くの人がこの事実を知りません。これが、今回の「ナニコレ珍百景」放送で多くの視聴者が驚いた理由です。
95年後の「恩返し」:1985年テヘラン日本人救出
エルトゥールル号の物語には、感動的な続きがあります。
イラン・イラク戦争の緊迫
1985年3月、イラン・イラク戦争が激化していました。
イラクのフセイン大統領は、世界に向けて衝撃的な宣言を発します。
「48時間後、イラン上空を飛ぶすべての航空機を撃墜する」
脱出できない日本人
テヘラン(イランの首都)には、215名の日本人が在留していました。各国は自国民を救出するために救援機を派遣しますが、日本政府は動けませんでした。
日本が救援機を出せなかった理由:
- 自衛隊機は法律的に海外派遣できなかった
- 民間航空会社は、危険を理由にチャーター機派遣を拒否
空港に駆けつけた在留邦人は、パニック状態になりました。タイムリミットが刻一刻と迫る中、途方に暮れる日本人たち…。
トルコ航空機の派遣
そんな絶望的な状況の中、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国でした。
トルコ政府は、2機のトルコ航空機をテヘランに緊急派遣。タイムリミットのわずか1時間前、215名の日本人全員が無事にイランを脱出することに成功しました。
驚くべき事実
当時、テヘランには日本人よりはるかに多い、500人以上のトルコ人が在住していました。
しかし、トルコ航空機は日本人を優先的に搭乗させ、トルコ人は陸路で危険な脱出を余儀なくされたのです。
「エルトゥールル号の恩を返しただけ」
なぜトルコは、自国民より日本人を優先したのでしょうか。
後に、駐日トルコ大使ネジアティ・ウトカン氏は、こう語りました。
「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
「私たちは、エルトゥールル号の借りを返しただけです」
95年前の恩を、トルコは決して忘れていませんでした。
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視聴者・SNSの反応
ナニコレ珍百景の放送後、SNSには感動の声があふれました。
肯定的な意見
「知らなかった」という驚きの声
「こんな素晴らしい話を今まで知らなかった。日本の教育はどうなってるの?」
「学校で絶対に教えるべき。トルコとの友好の歴史、感動した」
「串本町の人々の行動が、95年後に日本人を救ったなんて…鳥肌が立った」
感動の声
「号泣した。人間の善意と恩義って、こんなに長く受け継がれるものなんだ」
「トルコ記念館、絶対に行く。こんな大事な場所があること、もっと広めるべき」
「貧しい村なのに、自分たちのニワトリまで提供して助けた串本の人々。日本人の誇り」
「行ってみたい」という声
「連休に串本町行こうかな。トルコ記念館、見てみたい」
「和歌山旅行の目的地決まった。絶対にトルコ記念館に行く」
「本州最南端の串本、前から行きたかった。この機会に訪れよう」
中立・その他の意見
「なぜ教科書に載せないのか」という疑問
「こんな重要な歴史を、なぜ学校で教えないんだろう。教科書に載せるべきでは?」
「日本とトルコの友好の原点。これを知らない日本人が多いことが問題」
トルコへの感謝
「トルコの人々、ありがとう。こんなに日本のことを思ってくれていたなんて」
「トルコ旅行したくなった。恩を忘れない国民性、素晴らしい」
映画「海難1890」への言及
「そういえば2015年に『海難1890』って映画あったよね。見ればよかった」
「『海難1890』見たけど、本当に感動した。未見の人はぜひ見てほしい」
批判的な意見(少数)
「美談として語られがちだけど、もっと複雑な歴史的背景もあるはず」
「トルコとの関係は良いことだけど、他の国との関係も大事にしないと」
ただし、批判的な意見は非常に少なく、大多数が感動と驚きの声でした。
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背景情報:なぜ串本にトルコ記念館があるのか
エルトゥールル号遭難から現在までの歩み
1890年(明治23年) – エルトゥールル号遭難事件
1891年(明治24年) – 遭難海域を見下ろす樫野埼に「土国軍艦遭難之碑」建立(地元有志による)
1928年(昭和3年) – 第1回遭難追悼祭が開催(大阪日ト貿易協会の発議)
1929年(昭和4年) – 日ト貿易協会により追悼碑建立
1929年6月 – 昭和天皇が樫野に行幸され、慰霊碑に会釈
1937年(昭和12年) – トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル(アタチュルク)の決定により、新しい慰霊碑が建立
1964年(昭和39年) – 串本町とトルコ・ヤカケント町が姉妹縁組
1974年(昭和49年) – トルコ記念館開館
1985年(昭和60年) – テヘラン日本人救出
1994年(平成6年) – 串本町とトルコ・メルシン市が姉妹都市提携
2007年〜 – トルコの考古学者によるエルトゥールル号海底遺品発掘調査開始
2008年 – 1000点以上の遺品を引き揚げ
2015年(平成27年) – 遭難事故125周年。映画「海難1890」公開。トルコ記念館リニューアル
2020年(令和2年) – 遭難事故130周年追悼式典
2025年(令和7年) – 遭難事故135周年。テヘラン脱出40周年
現在 – 5年ごとに日本とトルコ共催で慰霊祭を開催
串本町とトルコの現在の交流
串本町とトルコの交流は、現在も続いています。
姉妹都市関係
- ヤカケント町(1964年姉妹縁組)
- メルシン市(1994年姉妹都市提携)
定期的な交流
- 5年ごとの慰霊祭には、トルコから海軍艦船が訪れる
- トルコ駐日大使や政府要人が参列
- 串本町の学生がトルコを訪問する交流プログラム
文化交流
- 串本町にはトルコ料理店がある
- トルコ関連のイベントが定期的に開催
- トルコアイスやケバブが楽しめる
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映画「海難1890」:感動を映像化
映画概要
2015年12月、エルトゥールル号遭難事件125周年を記念して、日本・トルコ合作映画「海難1890」が公開されました。
監督: 田中光敏
主演: 内野聖陽、忽那汐里
トルコ側出演: ケナン・エジェ、アリジャン・ユジェソイ
制作: 日本・トルコ合作構成:
- 第1部:1890年のエルトゥールル号遭難事件
- 第2部:1985年のテヘラン日本人救出
2つの時代を描くことで、日本とトルコの絆の深さを表現しています。
撮影秘話
実際の現場で撮影
エルトゥールル号遭難事件のシーンは、実際に事故が起きた和歌山県串本町で撮影されました。
トルコ国内での撮影許可
トルコ国内でも撮影が行われ、通常なら許可が下りない場所での撮影も実現。トルコ政府の全面協力があってこそ、実現した映画です。
エキストラの想い
実際に救助に携わった串本町民の子孫がエキストラとして出演。また、テヘラン救出に向かったトルコ航空客室乗務員の娘が、客室乗務員役を演じています。
受賞歴
第39回日本アカデミー賞
- 最優秀録音賞
- 最優秀美術賞
- 優秀監督賞
- その他8部門で優秀賞
VFX-JAPANアワード2017
- 優秀劇場公開実写映画賞
現在の視聴方法
「海難1890」は、各種動画配信サービスで視聴可能です。ナニコレ珍百景を見て興味を持った方は、ぜひご覧ください。
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トルコ記念館への行き方・周辺観光
アクセス方法
車でのアクセス(おすすめ)
大阪から約3時間30分〜4時間
- 阪和自動車道→すさみIC→国道42号→串本町
- くしもと大橋を渡って紀伊大島へ
- 島内の案内標識に従ってトルコ記念館へ
名古屋から約3時間30分
- 伊勢自動車道→紀勢自動車道→すさみIC→国道42号
公共交通機関
JR串本駅から串本町コミュニティバス「大島線」で約40分
- 本数が少ないため、事前に時刻表確認必須
- タクシー利用も可能(約30分、5000円程度)
駐車場
無料駐車場あり(普通車約20台)
周辺の観光スポット
樫野埼灯台(トルコ記念館から徒歩5分)
- 1870年(明治3年)築の歴史ある灯台
- 国の登録有形文化財
- 灯台守の旧官舎も見学可能
トルコ軍艦遭難慰霊碑(トルコ記念館から徒歩3分)
- 遭難現場を望む丘に建つ
- 遺体が埋葬された場所
- トルコ共和国が建立した美しい慰霊碑
橋杭岩(串本町内)

- 国の天然記念物
- 海に並ぶ奇岩群
- 朝日の名所
潮岬(串本町内)
- 本州最南端の地
- 潮岬灯台、潮岬観光タワー
- 太平洋の絶景
串本海中公園(串本町内)
- 海中展望塔
- 水族館
- 家族連れにおすすめ
おすすめの過ごし方
日帰りプラン
- 午前:トルコ記念館→樫野埼灯台→慰霊碑
- 昼食:串本町でマグロ丼やクエ料理
- 午後:橋杭岩→潮岬
1泊2日プラン
- 1日目:トルコ記念館周辺をじっくり見学、串本町内観光
- 宿泊:串本町内の温泉宿
- 2日目:串本海中公園→橋杭岩→帰路
訪問時の注意点
服装
- 海沿いで風が強いため、上着必須
- 歩きやすい靴推奨
時期
- 年中無休だが、冬は寒さ対策を
- 春〜秋がおすすめ
所要時間
- トルコ記念館の見学は20〜30分
- 周辺施設含めて1〜2時間
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まとめ:トルコ記念館が教えてくれること
2026年1月18日の「ナニコレ珍百景」で紹介された和歌山県串本町の「トルコ記念館」。
この記事のポイント:
✅ 紀伊半島の先端にある「トルコ記念館」
✅ 1890年のエルトゥールル号遭難事件が起源
✅ 貧しい村民が命がけで587名の犠牲者と69名の生存者を救助
✅ 95年後の1985年、トルコが日本人215名をテヘランから救出
✅ 「エルトゥールル号の恩を返しただけ」というトルコの言葉
✅ 放送後、SNSで「知らなかった」「感動した」の声殺到
✅ トルコでは教科書に載るほど有名だが、日本ではあまり知られていないトルコ記念館が教えてくれること:
- 善意は世代を超えて受け継がれる
135年前の串本町民の行動が、現在も日本とトルコの絆となっている - 恩は決して忘れられない
95年経っても、トルコは日本の恩を忘れていなかった - 小さな行動が歴史を変える
一つの村の献身的な救助活動が、2つの国の友好関係を築いた - 国際理解の大切さ
言葉が通じなくても、人と人は助け合える - 日本人の誇り
自分たちが貧しくても、困っている人を助ける心
訪問をおすすめする理由:
この感動的な歴史を、ぜひ現地で体感してください。トルコ記念館、樫野埼灯台、慰霊碑。実際に遭難が起きた海を見ると、当時の村民の勇気と献身がより深く理解できます。
串本町は、本州最南端の美しい海の町。観光地としても魅力的です。週末のドライブや、家族旅行の目的地として、ぜひ訪れてみてください。
施設情報
トルコ記念館
- 住所:和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-26
- 電話:0735-65-0628
- 開館時間:9:00〜17:00
- 休館日:無休
- 入館料:一般300円、小中学生100円
- 駐車場:無料
- 公式サイト:串本町観光協会
関連情報
- 串本町観光協会:https://kankou-kushimoto.jp/
- 映画「海難1890」公式サイト
- トルコ共和国大使館文化広報参事官室
次回放送 「ナニコレ珍百景」は、テレビ朝日系列で毎週土曜日19:00〜放送中。次回も日本各地の珍しいスポットが紹介されます。
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管理人むーびーくんより
ナニコレ珍百景でトルコ記念館が紹介され、多くの人がこの感動的な歴史を知ることができました。
135年前、名もなき村の人々が命をかけて行った救助活動。それが95年後、遠く離れたテヘランで日本人を救うことに繋がった。
人間の善意と恩義は、こんなにも長く、深く、受け継がれるものなのだと、改めて感じさせられます。
トルコでは子どもたちでさえ知っているこの歴史を、日本人の多くが知らない。これは、とても残念なことです。
しかし、今回のテレビ放送をきっかけに、多くの人がこの歴史を知り、トルコという国への親しみを深めることができました。
ぜひ、この物語を周りの人にも伝えてください。そして機会があれば、串本町のトルコ記念館を訪れてください。
歴史は、遠い過去の出来事ではありません。今を生きる私たちと、深く繋がっているのです。
トルコと日本の絆。その原点が、紀伊半島の先端にあります。
訪問をおすすめする理由:
この感動的な歴史を、ぜひ現地で体感してください。トルコ記念館、樫野埼灯台、慰霊碑。実際に遭難が起きた海を見ると、当時の村民の勇気と献身がより深く理解できます。
- 善意は世代を超えて受け継がれる

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