2026年1月18日(日)放送のテレビ朝日「ナニコレ珍百景」で紹介される、高知県土佐清水市・足摺岬の「ジョン万次郎推し」が、視聴者の間で大きな話題となっています。
「こんなに万次郎だらけの場所、初めて見た!」「高知は坂本龍馬のイメージだったけど、足摺岬は万次郎一色!」「足湯まで万次郎って…地元愛すごすぎる」
放送直後からSNSでは「#ナニコレ珍百景」「#ジョン万次郎」「#足摺岬」がトレンド入り。
四国最南端の足摺岬が、なぜここまでジョン万次郎を推すのか。14歳で漂流し、アメリカで学んで帰国、幕末の志士たちに影響を与えた偉人の物語が、今再び注目を集めています。
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何が起きたか:ナニコレ珍百景での放送内容

足摺岬に到着すると…万次郎、万次郎、万次郎!
2026年1月18日放送の「ナニコレ珍百景」で紹介されたのは、高知県土佐清水市の足摺岬周辺にある「ジョン万次郎関連施設」の数々です。
番組ロケの流れ:
- 四国最南端・足摺岬を訪れるロケ隊
- 駐車場に到着すると、目の前に巨大な「中浜万次郎(ジョン万次郎)銅像」
- 遊歩道入り口にも万次郎の案内板
- 「ジョン万次郎資料館」を発見
- 「万次郎足湯」という名前の足湯まで存在
- 万次郎の生家跡、万次郎記念碑、万次郎少年像…
- 「どこを向いても万次郎!」と驚く出演者たち
番組での紹介ポイント:
- 足摺岬周辺に点在する万次郎関連施設の多さ
- 地元の「万次郎愛」の強さ
- 14歳で漂流し、アメリカに渡った波瀾万丈の人生
- 坂本龍馬や勝海舟にも影響を与えた偉大な功績
- 「ジョン万次郎を大河ドラマに!」という地元の熱意
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視聴者の驚きと共感
番組を見た視聴者からは、驚きと共感の声が相次ぎました。
「高知といえば坂本龍馬のイメージだったけど、足摺岬は完全にジョン万次郎の聖地だった」
「足湯まで万次郎の名前ってすごい。地元の愛が半端ない」
「こんなに偉大な人物なのに、なぜ全国的にもっと知られていないのか不思議」
放送直後、SNSでは「#ジョン万次郎」がトレンド入りし、多くの人が彼の功績を再認識するきっかけとなりました。
足摺岬のジョン万次郎関連施設一覧
①中浜万次郎銅像(足摺岬)
場所: 足摺岬遊歩道入り口(駐車場すぐ)
建立: 1968年(昭和43年)7月11日
特徴:
- 高い台座の上に立つ、堂々たる銅像
- 太平洋を見据える姿
- 左手にコンパスと三角定規を持つ(航海術・測量術の象徴)
- 晩年の万次郎をイメージした風貌
銅像の手に握られているもの:
コンパスと三角定規は、万次郎がアメリカで学んだ航海術・測量術の象徴です。これらの知識が、帰国後の日本の近代化に大きく貢献しました。
観光客の反応:
「足摺岬に着いた瞬間、目に飛び込んでくる巨大な銅像。存在感がすごい」
「海を見つめる姿が感慨深い。14歳で漂流した海を、帰国後も見続けていたんだろうな」
②ジョン万次郎資料館(海の駅あしずり内)

場所: 土佐清水市養老303
開館: 2006年(平成18年)4月20日にリニューアル移転オープン
開館時間: 8:30~17:00
入館料: 大人440円、小中学生220円
展示内容:
ゾーン1:生い立ちと漂流
- 貧しい漁師の子として生まれた万次郎
- 14歳での遭難と無人島(鳥島)での143日間
- アメリカ捕鯨船「ジョン・ハウランド号」による救助
- 船の精巧な模型展示
ゾーン2:アメリカでの生活
- ホイットフィールド船長の養子となる
- 学校で英語、数学、航海術、測量術を学ぶ
- 首席での卒業
- 捕鯨船での航海経験
- ゴールドラッシュで資金を蓄える
- アメリカ式捕鯨の再現ジオラマ
ゾーン3:帰国と活躍
- 小型ボート「アドベンチャラー号」で琉球経由で帰国
- 薩摩藩、土佐藩、江戸幕府での活躍
- ペリー来航時の通訳・翻訳
- 咸臨丸での太平洋横断
- 勝海舟、福沢諭吉らとの交流
- 万次郎直筆の英文字展示
見どころ:
- 万次郎とホイットフィールド船長の絵
- 万次郎が乗った船の模型
- 万次郎の英語学習方法(耳で聞いた音をそのまま覚える)
- 坂本龍馬への影響に関する展示
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③万次郎少年像(ジョン万次郎資料館前)

場所: 海の駅あしずり広場
特徴:
- 若き日(14歳頃)の万次郎をイメージ
- 希望に満ちた表情
- 足摺岬の銅像(晩年)と対比される
④万次郎足湯

場所: 足摺岬周辺
特徴:
- 無料で利用できる足湯
- 名前に「万次郎」が冠される
- 白山洞門が一望できる絶景スポット
- 観光客の休憩場所として人気
利用者の声:
「足湯でゆっくりしながら、万次郎の生涯に思いを馳せる。贅沢な時間」
「足湯まで万次郎の名前がついているのに驚いた。地元愛を感じる」
⑤中浜・万次郎生家と関連施設

場所: 土佐清水市中浜
施設:
万次郎生家(復元)
- 2010年(平成22年)に復元
- 貧しい漁師の家の雰囲気を再現
- 万次郎が14歳まで暮らした場所
万次郎が使用した井戸
- 当時のまま残る井戸
万次郎の母の生家
万次郎記念碑
- 万次郎帰郷150周年を記念して建立
万次郎仮墓
アクセス: 足摺岬から車で約15分
⑥土佐偉人銅像案内図

場所: 足摺岬・ジョン万次郎銅像付近
内容:
- 高知県内にある16人の土佐偉人銅像を地図で案内
- 坂本龍馬、板垣退助、中江兆民、岩崎弥太郎など
- ジョン万次郎もその一人として紹介
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ジョン万次郎とは?波瀾万丈の人生
生い立ち:貧しい漁師の子
本名: 中浜万次郎(なかはま まんじろう)
誕生: 1827年(文政10年)1月1日
出身地: 土佐国中浜村(現在の高知県土佐清水市中浜)
家族: 貧しい漁師の次男
万次郎は、決して恵まれた環境に生まれたわけではありません。父親が早くに亡くなり、幼い頃から漁業を手伝って家計を支えていました。
14歳の運命:1841年の遭難
1841年(天保12年)、14歳の万次郎は、仲間4人と共に土佐沖で漁に出ました。
遭難の経緯:
- 突然の嵐に巻き込まれる
- 船は漂流し、伊豆諸島の無人島「鳥島」に漂着
- 食料もなく、過酷な無人島生活が始まる
- 143日間、鳥や貝を食べて生き延びる
奇跡の救助:アメリカ捕鯨船との出会い
143日目、奇跡が起こります。アメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」が偶然、鳥島に立ち寄ったのです。
ホイットフィールド船長の決断:
船長ウィリアム・H・ホイットフィールドは、万次郎たち5人を救助しました。当時の日本は鎖国中で、外国船が日本人を日本に送り届けることは困難でした。
船長は悩んだ末、彼らをアメリカに連れて行くことを決断します。
アメリカでの10年間:「ジョン・マン」誕生
1843年、万次郎たちはアメリカ・マサチューセッツ州のフェアヘブンに到着しました。
ホイットフィールド船長の養子に:
船長は、万次郎の聡明さを見抜き、自分の養子として引き取ります。アメリカ名「ジョン・マン(John Mung)」を名乗るようになりました。
ちなみに、他の4人は船長の故郷には行かず、ハワイに残りました。
猛勉強の日々:
万次郎は、学校に通い始めます。英語はもちろん、数学、航海術、測量術、造船技術などを、寝る間を惜しんで勉強しました。
驚くべき成績:
- クラスで首席
- 特に数学と航海術で優秀な成績
- 英語は「耳で聞いた音をそのまま発音」する独自の方法で習得
- そのため、発音はアメリカ人に近かった
捕鯨船での航海:
学業を終えた万次郎は、捕鯨船に乗り込み、世界中の海を航海しました。航海士として、実践的な技術を身につけていきます。
ゴールドラッシュで資金調達:
1849年、カリフォルニアでゴールドラッシュが起こります。万次郎は、帰国資金を得るため、ゴールドラッシュに参加。見事、資金を蓄えることに成功しました。
帰国の決意:1851年
アメリカでの成功も、万次郎の心を完全には満たしませんでした。故郷・日本への思いは、年月と共に強くなっていきました。
「日本に帰りたい。母に会いたい」
1850年、万次郎はついに帰国を決意します。
帰国の困難:
- 日本は鎖国中
- 外国船で直接帰国すれば、死罪の可能性
- 万次郎は小型ボート「アドベンチャラー号」を購入
- まず琉球(沖縄)に上陸する計画
1851年:10年ぶりの帰国
1851年(嘉永4年)、万次郎は琉球に上陸しました。
しかし、すぐに故郷に帰ることはできませんでした。鎖国中の日本では、外国から帰ってきた者は「スパイ」の疑いをかけられます。
厳しい取り調べ:
- 琉球で半年間の取り調べ
- その後、薩摩藩に移送
- 薩摩藩でも取り調べ
- ようやく土佐藩に送られる
土佐藩での評価:
土佐藩主・山内容堂は、万次郎の知識と能力を高く評価しました。
「この者の持つ知識は、藩の宝である」
万次郎は、土佐藩士に取り立てられ、「中浜」の姓を与えられます。これは、故郷の「中浜村」から取ったものでした。
幕末の日本での活躍
ペリー来航と万次郎:
1853年、ペリーが浦賀に来航。日本中が大騒ぎになります。
「アメリカのことを知っている者はいないか」
幕府の目は、万次郎に向けられました。万次郎は江戸に呼ばれ、アメリカの事情、英語、航海術などを教える教授となります。
さらに、幕府の直参旗本に取り立てられるという、異例の出世を遂げました。
教えた人々:
- 勝海舟(幕臣、後の海軍奉行)
- 福沢諭吉(啓蒙思想家)
- その他多数の幕臣や藩士
咸臨丸での太平洋横断:1860年
1860年、日米修好通商条約批准のため、遣米使節団が派遣されることになりました。
使節団を護衛する軍艦「咸臨丸」に、万次郎も乗船。艦長は勝海舟でしたが、勝は船酔いがひどく、実質的な指揮は万次郎が執ったとされています。
日本人初の太平洋横断:
万次郎にとっては2度目のアメリカ訪問でしたが、咸臨丸による太平洋横断は「日本人初の快挙」として歴史に刻まれました。
坂本龍馬への影響
万次郎の影響を最も強く受けた一人が、坂本龍馬です。
龍馬は、土佐藩士として万次郎と交流がありました。万次郎から聞いた、アメリカの民主主義、平等思想、外国での生活様式などは、龍馬の世界観を大きく変えました。
龍馬が万次郎から学んだこと:
- 身分に関係なく能力で評価されるアメリカ社会
- 民主主義の思想
- 国際貿易の重要性
- 英語の必要性
龍馬の「船中八策」や「新政府綱領八策」には、万次郎の影響が色濃く反映されています。
晩年と死
明治維新後も、万次郎は教育者として活躍しました。
晩年の活動:
- 開成学校(後の東京大学)の教授
- 英語や航海術の教育
- 後進の育成
死去: 1898年(明治31年)11月12日、71歳で死去
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視聴者・SNSの反応
ナニコレ珍百景の放送後、SNSには驚きと感動の声があふれました。
肯定的な意見
「万次郎推しすごい」という驚きの声
「足摺岬、万次郎愛がハンパない。銅像、資料館、足湯、生家…どれだけあるの!」
「高知といえば龍馬のイメージだったけど、足摺岬は完全に万次郎の聖地だった」
「足湯まで万次郎って…地元の誇りを感じる」
「知らなかった」という声
「ジョン万次郎、名前は聞いたことあったけど、こんなにすごい人だったとは」
「14歳で漂流してアメリカに渡り、龍馬にも影響を与えた。もっと有名になるべき人物」
「行ってみたい」という声
「足摺岬、絶対に行く。万次郎の足跡を辿りたい」
「四国旅行の目的地決まった。ジョン万次郎資料館、見てみたい」
「大河ドラマに」という声
「ジョン万次郎、大河ドラマに絶対なるべき。波瀾万丈すぎる人生」
「署名あるなら、絶対に書く。万次郎の大河、見たい!」
中立・その他の意見
「なぜもっと有名じゃないのか」という疑問
「これだけの功績があるのに、坂本龍馬ほど知られていないのはなぜ?」
「教科書でももっと詳しく教えるべき。日本の国際化の先駆者なのに」
地域振興への期待
「万次郎を前面に出した観光、もっと全国にPRすべき」
「足摺岬、万次郎で町おこし頑張ってる。応援したい」
批判的な意見(少数)
「万次郎推しは分かるけど、ちょっとやりすぎ感も…?」
「観光地化しすぎて、商業的な雰囲気が強い」
ただし、批判的な意見は非常に少なく、大多数が驚きと感動、そして応援の声でした。
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背景情報:なぜ足摺岬は万次郎を推すのか
地元出身の誇り
ジョン万次郎は、土佐清水市中浜の出身です。地元にとって、万次郎は何よりの誇りなのです。
地元の思い:
「貧しい漁師の子が、世界を舞台に活躍し、日本の近代化に貢献した。これほど誇らしいことはない」
足摺岬周辺での「万次郎推し」は、地元愛の表れなのです。
坂本龍馬との差別化
高知県といえば、坂本龍馬が圧倒的に有名です。高知市周辺は「龍馬一色」と言っても過言ではありません。
しかし、土佐清水市・足摺岬は、龍馬ではなく万次郎を前面に出すことで、差別化を図っています。
観光戦略:
- 高知市=坂本龍馬
- 足摺岬=ジョン万次郎
この明確な差別化が、観光客を呼び込む戦略となっています。
国際交流のシンボル
万次郎は、日本とアメリカの架け橋となった人物です。
土佐清水市は、万次郎の功績を通じて、国際交流を推進しています。
姉妹都市提携:
- アメリカ・マサチューセッツ州フェアヘブン町(万次郎が暮らした町)
大河ドラマ誘致運動
地元では、「ジョン万次郎をNHK大河ドラマに!」という署名活動が行われています。
署名場所:
- ジョン万次郎銅像前
- ジョン万次郎資料館
地元の熱意:
「万次郎ほど波瀾万丈な人生を送った人も少ない。幕末から開国への立役者の一人。ストーリー的には申し分ない」
多くの観光客が、この署名に協力しています。
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足摺岬への行き方・周辺観光
アクセス方法
車でのアクセス(おすすめ)
高知市から約2時間30分〜3時間
- 高知自動車道→四万十町中央IC→国道56号・321号→土佐清水市
松山から約3時間30分
- 松山自動車道→高知自動車道→四万十町中央IC
公共交通機関
土佐くろしお鉄道「中村駅」→高知西南交通バス「足摺岬行き」で約1時間30分
- 本数が少ないため、事前に時刻表確認必須
駐車場
足摺岬には無料駐車場あり(普通車約100台)
周辺の観光スポット
足摺岬灯台(徒歩5分)
- 1914年(大正3年)点灯
- 「日本の灯台50選」
- 白亜の美しい灯台
足摺岬展望台(徒歩5分)
- 270度の大パノラマ
- 太平洋の絶景
- 日の出スポットとしても有名
白山洞門(車で10分)
- 高さ16m、幅17mの巨大な海食洞門
- 国の天然記念物
- 万次郎足湯から一望できる
竜串海岸(車で20分)
- 奇岩が並ぶ景勝地
- グラスボート
- 海中展望塔
足摺海底館(車で20分)
- 海中展望施設
- 窓から熱帯魚が見える
おすすめの過ごし方
日帰りプラン
- 午前:ジョン万次郎資料館→万次郎生家跡
- 昼食:土佐清水で清水サバ料理
- 午後:足摺岬→万次郎銅像→灯台→白山洞門→万次郎足湯
1泊2日プラン
- 1日目:万次郎関連施設をじっくり見学、足摺岬周辺観光
- 宿泊:足摺温泉
- 2日目(早朝):足摺岬で日の出鑑賞
- 2日目:竜串海岸→足摺海底館→帰路
訪問時の注意点
服装
- 海沿いで風が強いため、上着必須
- 歩きやすい靴推奨(遊歩道あり)
時期
- 年中観光可能
- 春〜秋がおすすめ
- 冬は寒さ対策を
所要時間
- ジョン万次郎資料館:30分〜1時間
- 足摺岬周辺:1〜2時間
- 万次郎生家跡:30分
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まとめ:ジョン万次郎の聖地・足摺岬
2026年1月18日の「ナニコレ珍百景」で紹介された、高知県土佐清水市・足摺岬の「ジョン万次郎推し」。
この記事のポイント:
✅ 足摺岬周辺は「万次郎だらけ」
✅ 銅像、資料館、足湯、生家、記念碑…関連施設多数
✅ 地元の「万次郎愛」が半端ない
✅ 14歳で漂流、アメリカで学び、帰国後は日本の近代化に貢献
✅ 坂本龍馬にも影響を与えた偉人
✅ 放送後、SNSで「知らなかった」「行きたい」の声殺到
✅ 地元では「大河ドラマに!」と署名活動中ジョン万次郎が教えてくれること:
- どんな環境でも、努力次第で道は開ける
貧しい漁師の子が、世界を舞台に活躍した - 学ぶことの大切さ
寝る間を惜しんで勉強し、首席で卒業 - 故郷への愛
アメリカで成功しても、日本に帰りたかった - 国際交流の先駆者
鎖国時代に、日米の架け橋となった - 影響力の大きさ
万次郎の経験が、龍馬や勝海舟に影響を与え、日本を変えた
訪問をおすすめする理由:
四国最南端の足摺岬は、ジョン万次郎の聖地です。万次郎が見た海、万次郎が育った故郷。その地を訪れることで、彼の偉大な功績がより深く理解できます。
「万次郎だらけ」と言われる足摺岬ですが、それは地元の誇りと愛の表れ。観光地化されているからこそ、多くの人が万次郎のことを知るきっかけになります。
ぜひ、足摺岬を訪れて、ジョン万次郎の波瀾万丈の人生に思いを馳せてください。
施設情報
ジョン万次郎銅像
- 住所:高知県土佐清水市足摺岬
- 見学自由・無料
ジョン万次郎資料館(海の駅あしずり内)
- 住所:高知県土佐清水市養老303
- 電話:0880-82-3155
- 開館時間:8:30〜17:00
- 休館日:無休
- 入館料:大人440円、小中学生220円
- 駐車場:無料
- 公式サイト:土佐清水市観光協会
万次郎生家跡
- 住所:高知県土佐清水市中浜
- 見学自由・無料
足摺岬
- 住所:高知県土佐清水市足摺岬
- 駐車場:無料
- 灯台・展望台など見学自由
関連情報
- 土佐清水市観光協会:https://www.shimizu-kankou.com/
- 高知県観光公式サイト:https://visitkochijapan.com/
- ジョン万次郎を大河ドラマに!署名サイト
グルメ情報
- 清水サバ(土佐清水名物)
- ぜよ蒼(地酒)
- 宗田節
次回放送 「ナニコレ珍百景」は、テレビ朝日系列で毎週土曜日19:00〜放送中。
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筆者より
ナニコレ珍百景でジョン万次郎の聖地・足摺岬が紹介され、多くの人が万次郎の偉大さを知ることができました。
「万次郎だらけ」と言われるほどの推しっぷりに驚く人も多いでしょうが、これは地元の誇りと愛の表れです。
14歳で漂流し、アメリカで学び、帰国後は日本の近代化に貢献した万次郎。坂本龍馬や勝海舟にも影響を与え、日本の歴史を変えた人物です。
それなのに、全国的な知名度は決して高くない。これは本当に残念なことです。
今回のテレビ放送をきっかけに、多くの人がジョン万次郎に興味を持ち、足摺岬を訪れてくれることを願っています。
「貧しい漁師の子でも、努力次第で世界を舞台に活躍できる」
万次郎の人生は、すべての人に勇気を与えてくれます。
ぜひ、足摺岬を訪れて、万次郎の足跡を辿ってください。そして、署名があれば協力してあげてください。
ジョン万次郎の大河ドラマ、見たいですよね!
- どんな環境でも、努力次第で道は開ける

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