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コサキンコンビ徹子の部屋出演|古希を超えた関根勤と小堺一機が語る欽ちゃんとの50年

2026年1月30日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に、伝説のコンビ「コサキン」が登場!関根勤72歳、小堺一機70歳。

古希を超えてますます元気な二人が、師匠・萩本欽一との出会い、「クロ子とグレ子」誕生秘話、そして半世紀続く友情を語ります。

40年前の貴重映像、恒例のモノマネ、さらには徹子さんも参戦!?「視聴率100%男」欽ちゃんに鍛えられた二人の、笑いあり涙ありの物語をお届けします。

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目次

2026年1月30日「徹子の部屋」放送内容

番組情報

番組名:徹子の部屋
放送局:テレビ朝日系列
放送日時:2026年1月30日(木) 13:00〜13:30
MC:黒柳徹子
ゲスト:関根勤、小堺一機(コサキン)

コサキンとして「徹子の部屋」初出演

実は、関根さんと小堺さんが「コサキン」として揃って「徹子の部屋」に出演するのは、2回目です(1回目は2022年2月3日)。

関根さんは「徹子の部屋」開始当初、番組内クイズコーナーのアシスタントとして約1年間レギュラー出演していた歴史があります。

当時大学生だった関根さんも、今では72歳。小堺さんは70歳。ともに古希を超えました。

放送内容予告

①40年前の貴重映像
40年前に関根さんが「徹子の部屋」に出演した際の映像とともに、コサキン結成秘話、下積み時代の苦労を明かします。

②師匠・萩本欽一とのエピソード
小堺さんが長年「徹子の部屋」の裏番組「ライオンのごきげんよう」の司会を務めていたことや、

番組開始当初は全くうまくいかなかった話、師匠・萩本欽一や勝新太郎らの助言を、モノマネを交えて語ります。

③関根勤の芸能生活50周年
2025年に芸能生活50周年を迎えた関根さんが、落語に初挑戦した話、自身の悩みを落とし込んだ創作落語の成功秘話を披露。

④孫を溺愛する72歳
関根さんは現在、娘・関根麻里さんの2人の子供を溺愛。

目と鼻の先にある孫の家に通い、面倒を見る日々に癒されているそう。

⑤恒例のモノマネ合戦
二人のモノマネが大好きな黒柳徹子さんが、得意のモノマネを披露する一幕も!

コサキンとは?半世紀続く伝説のコンビ

コサキンの由来

「コサキン」は、小堺一機の「コサ」と、関根勤を音読みした「キン」を合わせた名称です。

1982年10月までは、関根さんが「ラビット関根」を名乗っていたため、「コサラビ」と呼ばれていました。

厳密にはコンビではない?

実は、コサキンは正式なコンビではありません。

所属事務所の浅井企画は、二人をコント55号に続くコンビとして売り出そうとしましたが、

二人は「あくまでもピンで」と答えて断っています。

そのため、「コサキン」は厳密にはコンビではなく、「関根勤」「小堺一機」という二人のタレントが一緒に仕事をする際の通称なのです。

関根勤と小堺一機の出会い

「ぎんざNOW!」素人コメディアン道場

関根勤の場合
1974年、大学3年生の時、情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」に出場。5連続勝ち抜きで初代チャンピオンに輝きます。

審査員の一人だった浅井企画社長の浅井良二さんにスカウトされますが、当初は断っていました。

しかし、「コント55号の萩本欽一、坂上二郎を売り出した僕が、君の才能を保証する」と言われ、芸能界入りを決意。

小堺一機の場合
1977年、専修大学在学中に「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で第17代チャンピオンとなり、芸能界入り。

大学卒業後、勝新太郎が主宰する「勝アカデミー」に第1期生として入校。ルー大柴と同期でした。

コサキン結成のきっかけ

新人時代、関根さんと小堺さんが即興でコントをやったところ、それを見ていた放送作家の大岩賞介さんが「このコンビは面白い」と感じました。

「2人でやってみたらどうだ? 深く考えずに軽い気持ちで。例えばクッキー食べるみたいにさ!」

この一言が、コサキン誕生のきっかけでした。

二人は下北沢のライブハウスでコント修行を積み、やがて運命の番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」へと出演することになります。


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師匠・萩本欽一との出会いと「欽ちゃんファミリー」

「視聴率100%男」萩本欽一

1980年代、萩本欽一さんは「視聴率100%男」と呼ばれ、テレビ界の頂点に君臨していました。

主な冠番組

  • 「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日)
  • 「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS)
  • 「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(フジテレビ)

1週間の視聴率を合計すると100%を超えることから、この異名がつきました。

欽ちゃんファミリーの一員として

コサキンは、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(通称:欽どこ)に出演し、「欽ちゃんファミリー」の一員として人気を博しました。

欽どこでの活躍

  1. 風見慎吾の「泣いちっちマイ・ハート」のバックダンサー
  2. 「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」ミニコーナー担当

特に「クロ子とグレ子」が大ヒットし、二人の知名度は一気に上昇しました。

厳密には弟子ではないが…

関根さんも小堺さんも、萩本欽一さんに正式に弟子入りしたわけではありません。浅井企画の後輩芸人という立場です。

しかし、TBSラジオ「コサキンDEワァオ!」に萩本さんがゲスト出演した際、関根さんは「正式な手続きでの弟子入りはないですけども、

『欽どこ』を通じて師匠という気持ちがあります」と発言。

これに対し萩本さんは「それは大きな声で言うべきよ」と冗談めかしながら答え、師弟に準ずる関係であることを認めています。


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萩本欽一の教え:「聞いちゃダメ」

欽ちゃんの厳しい教育

萩本欽一さんの教えの中で、最も有名なのが「聞いちゃダメ」です。

話を振られたあと、「え?」と聞き返したり、リアクションに詰まってしまうことを許さない。間を空けず、すぐ答えなければならない。

これは小堺さんがよく萩本さんのモノマネで再現していますが、「訊いたらおしまい、0点」という厳しいルールでした。

異常なまでの長稽古

萩本さんの稽古は、異常なほど長時間に及びました。徹夜で台本を作り直し、何時間も繰り返しリハーサルを行う。

しかも、稽古通りに本番をやるかと言えば、そうではない。本番で台本にないアドリブを突然飛ばして、演者を混乱させ、笑いを生む。

一見無駄に思える長時間の稽古。しかし、その稽古で芸人たちは悩み、苦しみ、必死で考え抜いた。だから、今も一線で活躍し続けられるのです。

「大将の教えはマスターキー」

小堺さんは、萩本さんのことをこう語っています。

大将の教えはマスターキー

どんな番組でも、どんなタレントとでも、すぐに対応できる。それは、萩本欽一という師匠に鍛えられたからこその力なのです。

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萩本欽一の伝説エピソード

大道具チーフ・クサマさんとの攻防

テレビ朝日の大道具チーフだったクサマさんは、ステージのささくれひとつにも厳しい職人でした。

ある時、萩本さんが「掘りごたつ作って」と要求。クサマさんは徹夜で作りました。

しかし完成した掘りごたつを見た萩本さんは、「ダメだ。やり直し」。

またある時は、セットが古すぎると不機嫌に言い放つ。クサマさんは翌週、新旧のバランスを整えました。

すると萩本さん:「変えちゃダメだって。お客さん『あ、欽どこだ』って思うんだよ、パッと見て。ダメだよ。戻して」

こんなことが長らく続き、ある年の忘年会。酒を飲んだクサマさんは、お手製のメガホンで叫びます。

「この野郎!」

振り返った萩本さんは、あの満面の笑みで「何、クサマちゃん」。

するとクサマさんは穏やかな人柄へと戻り、何も言えなくなったそうです。

「お祈り」の真相

番組の構成・演出もやっていた萩本さん。打ち合わせで作家が考えた台本が面白くないと思った時、こう言います。

「ちょっと待って。おれ考えるから」

2〜3時間後、「いいアイデアをもらうから」と窓を開けさせ、お日様にお祈り。

おもむろに「きました」と言うと、一気に60分の台本のストーリーを自ら演じる。それがまた面白い。

後で「お祈りは何だったのか」と聞くと、目を輝かせながら「あれはね、みんなをひっかけたの」。

なんと、その場にいたスタッフをびっくりさせるための演出だったのです。


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小堺一機の苦悩

「売れない」と言われ続けた日々

小堺さんは若手時代、萩本欽一さんから「やることなすことすべてを大将に否定され、『お前なんか売れない』と言われ続けていた」といいます。

当時の小堺さんは「週末はディスコで必ず踊りながら『萩本死ねーっ!』と言ってた」と回想しています。

それは愛情の裏返し

しかし、萩本さんが小堺さんに抱いた実際の第一印象は「売れる顔をしている」でした。

前述の仕打ちは、「最初に俺が優しいと、お前らは『大丈夫だ、芸能界』と思ってしまう」と危惧した萩本さんが、小堺さんと関根さんにあえて厳しく接したものだったのです。

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関根勤の言葉「関根は50歳から」

40歳の時に言われた衝撃の言葉

関根さんが40歳になった時、萩本さんに報告に行きました。

すると萩本さんはひとこと、「関根は50歳から。本当は50からなの」。

萩本さんの見立てでは、40歳の関根さんはまだ、一人前には成長していなかったようです。

だから、50歳になったときは怖くて報告に行きませんでした。だって、今度は「関根は60歳から」って言われるに違いないから。

60歳の時の褒め言葉

ただ、関根さんが60歳になったとき、萩本さんから言われた言葉があります。

関根は若いヤツらと一緒に番組に出ていても違和感ないな

関根さんの60代というと、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」にレギュラー出演していたり、若手芸人とさまざまな番組で共演するようになった時期。

欽ちゃんは、そんな雑多な番組も、ちゃんと見てくれている。そう思うと、関根さんは嬉しかったそうです。


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コサキンの絆:嫉妬ではなく感謝

小堺さんが先に売れた

コサキンとして活動する中、先に売れたのは小堺さんでした。

普通なら嫉妬してもおかしくない状況。しかし関根さんはこう語ります。

「いや、嫉妬どころか、ありがたいなとさえ思っていましたよ」

小堺さんの「テールランプ」

当時、テレビの世界では漫才ブームの勢いに乗って、B&B、ツービート、紳助・竜介、ザ・ぼんちといった関西勢が全国区に広まっていました。

東京でくすぶっていた関根さんは肩身の狭い思いをしていたのです。

そんななか、仲間うちから小堺さんが先頭を切って売れてくれた。

「碓氷峠のような曲がりくねった細道を歩くなか、小堺くんが走り抜けたポイントごとに、明るいテールランプを灯してくれたようなもの。あたりは濃霧がちこめていて、視界は充分ではないんだけど、そのランプをたどっていけば上にあがっていくことができる。そのことが、どんなに頼もしかったことか」

これが、関根勤という人間の器の大きさです。

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ラジオ「コサキン」シリーズ27年半

1981年「夜はともだち コサラビ絶好調!」

コサキンのラジオは、1981年10月、TBSラジオでの帯番組の代役として始まりました。

回を重ねるごとに人気が増し、やがて長寿番組へと成長していきます。

2009年まで続いた伝説

ラジオ「コサキン」シリーズは、放送時間や番組名を変えながらも継続され、深夜番組としては驚異的ともいえる2009年3月まで27年半続きました。

雑誌「ラジオパラダイス」のパーソナリティ人気投票では、常に上位を争い、1987年〜1988年には総合ランキング1位にもなりました。

1988年にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」を受賞。

コサキンリスナーにとって、この番組は青春そのものでした。


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2人が語り合う友情と尊敬

関根勤から見た小堺一機

関根さんは小堺さんについて、こう語っています。

小堺くんに出会わなければ今の自分はない。親友でありライバルであり、パートナーであり、恩人である

小堺一機から見た関根勤

小堺さんも関根さんについて、こう語っています。

『こう振ったらこうくるな』というパターンが、関根さんの場合はわからないので面白くてしょうがない

半世紀続く友情。それは、互いに尊敬し合い、認め合っているからこそです。

関根勤の芸能生活50周年と落語への挑戦

2025年、芸能生活50周年

2025年、関根勤さんは芸能生活50周年を迎えました。

1974年に「ぎんざNOW!」でデビューしてから、半世紀。長い道のりでした。

落語に初挑戦

50周年を機に、関根さんは落語に初挑戦しました。

自身の「悩み」を落とし込んだ創作落語を披露し、大成功を収めたといいます。

72歳になっても新しいことに挑戦し続ける。これが関根勤という人間です。


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72歳、孫を溺愛する関根勤

娘・関根麻里の2人の子供

関根さんの娘、関根麻里さんには2人の子供がいます。

関根さんにとっては、孫が2人。目と鼻の先にある孫の家に行っては、面倒を見る日々に癒されているそうです。

関根麻里の子供時代を懐かしむ

「徹子の部屋」では、関根麻里さんの子供時代を懐かしみながら、孫との生活を語る予定です。

厳しい芸能界で生き抜いてきた関根さんが、孫の前では優しいおじいちゃんになる。その姿は、多くの視聴者の心を温めることでしょう。

恒例のモノマネ披露

関根勤のモノマネレパートリー

関根さんのモノマネレパートリーは200人以上。

  • 長嶋茂雄
  • ジャイアント馬場
  • 千葉真一
  • 萩本欽一
  • 歴史上の人物まで!

小堺一機のモノマネ

小堺さんもモノマネが得意です。

  • 萩本欽一
  • 田中邦衛
  • 田村正和

特に萩本欽一さんのモノマネは、本人公認の完成度です。

黒柳徹子もモノマネ参戦!?

二人のモノマネが大好きな黒柳徹子さんが、得意のモノマネを披露する一幕も!

モノマネ対決になるのか、楽しみです。


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2月1日午前「関根勤・小堺一機と見るベストセレクション」放送決定

徹子の部屋50周年記念特番

2026年2月2日、「徹子の部屋」は放送50周年を迎えます。

これを記念して、2月1日(日)午前に「祝!徹子の部屋50周年記念 関根勤・小堺一機と見るベストセレクション」が放送されます。

コサキンと一緒に、過去の名場面を振り返る特別番組です。

まとめ:オールド欽ちゃんファンへのメッセージ

関根勤72歳、小堺一機70歳。古希を超えた二人が、2026年1月30日「徹子の部屋」に登場します。

「欽ちゃんのどこまでやるの!?」「欽ちゃんの週刊欽曜日」…あの頃の輝きを覚えていますか?

「クロ子とグレ子」で笑い、TBSラジオ「コサキン」に夢中になった日々を覚えていますか?

師匠・萩本欽一に鍛えられ、半世紀にわたって芸能界の第一線で活躍し続けるコサキン。

「視聴率100%男」の教えは、今も二人の中に生き続けています。

「聞いちゃダメ」 「大将の教えはマスターキー」 「関根は50歳から」

これらの言葉は、欽ちゃんファンの心に深く刻まれています。

2026年1月30日午後1時、テレビの前で再会しましょう。あの頃の思い出とともに。


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関根勤・小堺一機 基本情報

関根勤

生年月日:1953年8月21日
年齢:72歳(2026年1月現在)
出身:東京都港区
デビュー:1974年「ぎんざNOW!」
所属:浅井企画
家族:妻、娘・関根麻里、孫2人

小堺一機

生年月日:1956年1月3日
年齢:70歳(2026年1月現在)
出身:神奈川県横浜市
デビュー:1977年「ぎんざNOW!」
所属:浅井企画
代表番組:「ライオンのごきげんよう」(2016年まで司会)

コサキン

結成:1982年(当初は「コサラビ」)
活動期間:約半世紀
ラジオ:1981〜2009年(27年半)
代表作:「クロ子とグレ子」(欽ちゃんのどこまでやるの!?)


※本記事は2026年1月時点の情報です。放送内容は予告なく変更される場合があります。

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